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ミハイル・パレオロゴス (東ローマ皇子) : ウィキペディア日本語版
ミハイル・パレオロゴス (東ローマ皇子)

ミハイル・パレオロゴス(Μιχαήλ Παλαιολόγος, Michael Palaiologos, 1351年? - 1376年)は、東ローマ帝国皇帝ヨアニス5世パレオロゴスの第三子、トラキア・ザゴラ専制公1371年 - 1376年)。古典式慣例表記ではミカエル・パレオロゴス
波乱の時代を生きた皇帝の息子であるが、政治的に重要な地位を占めることもなく早世若死したため、記録が少ない。生年月日も明確ではないが、次兄マヌイル2世1350年生まれであることは確実なのでその翌年、1351年前後であろうと考えられている。また、名前をディミトリオス(デメトリオス)と記す史書もある。
1371年、父ヨアニス5世はミハイルを黒海西岸の帝国領ザゴラ地方(中心都市はメシンヴリア)に行政官として派遣する。この地域は当時帝国とブルガリア帝国オスマン朝との間で係争地となっており、ミハイルは国防強化の任務を帯びることになった。1373年に外交使節としてトレビゾンド帝国に派遣されるが、特に成果を上げることもなく短期間で帰国した。彼は任地でブルガリア人豪族ドブロティツァの娘と結婚したが、間もなく妻の兄弟によって暗殺されてしまった。
(本項目の表記は中世ギリシア語の発音に依拠した。古典式慣例表記については各リンク先の項目を参照)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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